LOGIN交際三年目の冬の夜。
街には雪がちらちらと舞い、街灯の光に溶けながら静かに落ちていく。 仕事帰りの人々が肩を寄せ合い、吐く息が白く染まっていく。 通りにはクリスマスのイルミネーションが灯り、赤と金の光がショーウィンドウを照らしていた。 幸せそうな笑い声、カップルの手のぬくもり、コートのポケットに忍ばせた手袋――そのどれもが、蓮には遠い世界のように思えた。黒いロングコートの襟を立て、蓮はひとり「CRYSTAL ROSE」と刻まれたネオンサインの前に立ち尽くしていた。
高級感のある店のドア。その向こうには、かすかにピアノの音楽が流れている。 冬の夜気が頬を刺すほど冷たいのに、胸の奥だけが熱く、そして痛いほど高鳴っていた。――あの日。
初めて玲と出会った夜のことを、彼は今も鮮明に覚えていた。あの夜も雪が降っていた。
仕事のトラブルで心が荒んでいた彼に、差し出された一杯のウィスキーグラス。 そして、「おひとりですか?」と笑った玲の笑顔。 その優しさが、氷のように固まっていた彼の心を初めて溶かした。あれから三年。
どんな日も、彼女の存在が支えだった。 彼女のいない人生など、もう想像することすらできなかった。――今日、終わらせよう、 この“恋人”という関係を。
そして、新しい始まりを迎える。蓮は小さく息を吸い込み、手袋を外してドアノブに触れた。
重厚な木の扉の重さが、現実を確かに知らせてくる。 そのまま、静かに扉を押し開けた。――次の瞬間、世界が光に包まれた。
店内は、まるで夢の中のようだった。
シャンデリアが天井から幾重にも輝きを放ち、床一面には赤いバラの花びら。 白いキャンドルがテーブルに並び、その炎が淡く空気を揺らす。 BGMには、玲の好きなピアノ曲――ショパンの《ノクターン第2番》。 優しく、どこか切ない旋律が、空間を満たしていた。壁際には、玲の同僚たちが静かに並んでいた。
皆、彼女のためにドレスアップし、笑顔で二人の瞬間を見守っている。 その中心に、今夜の主役を待つ蓮が立っていた。――この夜のために、彼は数ヶ月を費やした。
玲の好きなバラの香りを調香師に依頼し、キャンドルの火加減までテストした。
指輪は、彼女の手のサイズを彼女の同僚にそれとなく聞き出し、何度も職人に打ち合わせを重ねて選んだ。 すべては、世界でいちばん美しい夜を贈るために。やがて、店の奥の扉が静かに開いた。
時間が止まったかのような静寂。 そこから現れたのは――玲だった。シャンパンゴールドのドレスが光を受け、きらきらと揺れる。
少し緊張したように、けれどどこか照れくさそうに微笑んで。 髪はゆるく巻かれ、耳元で揺れる蓮からプレゼントされたダイヤのピアスが、彼女の息づかいとともに輝いた。「蓮……どうしたの、これ……?」
玲の声は震えていた。 夢を見ているのかと思うほどの光景に、彼女の目が潤み、唇がかすかに震える。蓮はゆっくりと立ち上がった。
そして玲の前まで歩み出ると、静かに片膝をついた。――その瞬間。
店内の照明が消え、スポットライトが2人を照らす。 BGMも、周囲のざわめきも、すべてが遠くに消えていく。 聞こえるのは、二人の鼓動だけ。キャンドルの炎がゆらめき、バラの香りがふわりと舞う。
「玲」
蓮の声は、低く、真っ直ぐだった。 彼の瞳の奥には、確かな決意の光があった。「俺の妻になってくれ。一生、お前だけを愛し続ける」
玲の呼吸が止まる。
次の瞬間、彼の手の中の小さなベルベットの箱が、静かに開かれた。 中にあるのは――五カラットのダイヤモンド。 光を浴び、まるで星そのものを閉じ込めたように輝いている。玲の胸の奥で、何かが弾けた。
温かいものが込み上げ、喉の奥が詰まる。――夢じゃない。
この人が、本気で、自分に永遠を誓ってくれている。「蓮……!」
声が涙に溶けた。 頬を伝う雫が、バラの花びらに落ちて消える。玲は震える手で彼の頬を包み、涙をぬぐうようにしながら言った。
「はい……はい、喜んで……! 私でよければ、一生あなたのそばに……」その言葉を聞いた瞬間、蓮は彼女を強く抱きしめた。
彼の腕の中に、玲の温もりが確かにあった。 蓮の目から、一筋の涙が零れ落ちた。――守るべき人が、ここにいる。
周囲から自然と拍手が湧き上がった。
「おめでとう、玲ちゃん!」 「蓮さん、最高に素敵です!」 玲の同僚たちは泣きながら笑い、シャンパンの栓が弾ける音が響いた。 グラスが触れ合う音、花びらが舞い上がる。 世界が二人を祝福していた。玲は蓮の胸に顔を埋めながら、笑った。
涙の向こうで、光が滲む。 あの頃、孤独を抱え、夜の店で微笑んでいた自分が―― 今、こんなにも愛されている。大切な人を守るためなら、 危険な世界に踏み込む覚悟はできますか? 蓮の選択、あなたはどう思いましたか。
重たい空気を震わせながら、スイートルームのドアが勢いよく開いた。 その瞬間、部屋の温度が一段低くなったような錯覚すら覚える。 ドアの外から、まるで物のように放り込まれた男──東条圭吾が床に転がり込んだ。 受け身すら取れず、硬いフローリングに体を打ちつけ、鈍い音が響く。 抵抗したのだろう。 その顔は腫れあがり、片方の頬には殴られた跡。 唇の端から乾いた血がにじみ、手首と足首には縄で擦れた赤いミミズ腫れが見える。 乱れた呼吸を引きずりながら、圭吾は何とか顔を上げようとした。「圭吾!」 利衣子が叫び、我を忘れたように駆け寄り、震える手で圭吾の肩を抱き起こす。「一体、何が目的なの!?」 利衣子は圭吾を抱きしめたまま、振り返り、ソファの中央に腰掛ける男──桐嶋龍一をにらみつけた。 その声は震えていたが、恐怖と怒りが混じり、鋭く張りつめていた。 だが龍一は、利衣子に向けられた怒りなどまるで意に介さない。 ソファに深く腰を沈め、足を組み替えながら、静かに、しかし絶対的な冷たさで彼女を見下ろす。「あなたたち二人には、もう柊の前に現れて欲しくないんですよ」 その声音は柔らかく、どこか礼儀正しさすらあった。 だが言葉の裏に潜むのは、氷の刃にも似た威圧。 利衣子も圭吾も、その視線に身体を強張らせ、息すら忘れてしまう。 龍一は利衣子から目を離さないまま、ゆっくりとソファから立ち上がった。 長い影が床に落ち、利衣子の足元まで伸びる。「利衣子さん、今回のことでよくわかったでしょう」 龍一の声は低く、静かだが、逃げ場のない圧があった。「”危うきに近寄るべからず”。 もう二度と、ああいった連中に乗せられて、あさはかな行動を起こさないことです」 利衣子の肩がびくりと震えた。 龍一が言う “ああいった連中”──それは裏で暗躍し、柊蓮を貶めようと企んでいた鷲尾や黒澤のような者たちだ。 利衣子はその片棒を担いだ。その結果が、この部屋だ。 龍一は最後に軽く顎を動かし、背後の部下へ小さく頷いた。 その合図は短く、だが絶対である。 部下二人がすぐに圭吾の両腕を掴み、乱暴に立たせる。 利衣子も腕を取られ、強引に引き上げられた。「やめて! 圭吾に乱暴しないで!」 必死に抵抗するが、部下たちの腕力は強く、利衣子の細い腕で
羽田空港・到着ロビー。黒のコートを羽織った利衣子が、携帯を耳に当てながら歩いていた。 「はい、今着きました。……蓮には私から連絡を取ってみるわ」 声には焦りも迷いもない。 彼女は“まだ狙われている”と思っていた。黒澤の部下に追いかけられ、隼人に逃がしてもらってから、利衣子はずっと隠れて暮らしていた。黒澤が原因不明の死を遂げたことも、ネットのニュースで目にしていた。だが、まだ天城壮真がいる。自分が知っていた情報を流せば、必ず天城に狙われる。利衣子は危機感に駆られ、蓮の部下だった“東条圭吾”に連絡を取り、この何週間かを共に行動していた。しかし、東条圭吾も、利衣子と一緒に蓮を陥れる計画を仕組んだことで、蓮からは“二度と俺の前に顔を出すな”と言われてしまった。しかしもうこんな隠れて過ごすのび、圭吾も利衣子もうんざりしていた。そして、東京へ行って蓮に会い、助けてもらおうと利衣子が言い出した。飛行機から降りてから、まずは利衣子が蓮と話すと言って、圭吾と別行動を取ることにした。だが、空港の出口を出た瞬間――。 人波の向こうで、ひとりの男が彼女の前に立った。 無表情、黒いスーツ、冷たい視線。 その男の手がわずかに動く。 利衣子の背筋に、理由のない寒気が走った。(……誰?) 小さく呟いたそのとき、黒いスーツの男が二人、音もなく近づいてきた。 「桐嶋様がお待ちです。こちらへ」 低い声。 利衣子の心臓がどくりと跳ねる。 「……桐嶋? 誰のこと?」 「こちらへ」 男の表情は一切変わらない。 利衣子は拒もうとした。 「待って、私、用事が――」 だが、男は一歩も引かない。 目の奥に、わずかに光る冷たい意思。 人通りが多い場所だったが、異様な圧に抗う気力が削がれた。 ――下手に逆らえば、本当に消される。 利衣子は小さく息を呑み、観念したように頷いた。 黒い車が滑るように止まり、彼女を後部座席に促す。 ドアが閉まった瞬間、車内の空気が変わった。 香水の香りも、会話も、何もない。 ただ、沈黙だけが支配していた。 数十分後、車は都内の高級ホテルの前で停まった。 フロントも特別階。 エレベーターを上がる途中、利衣子は自分の手のひらに汗が滲むのを感じていた。 「ここ……どこ?」 「すぐにわか
スイートルームの外。 静まり返った最上階の廊下には、ホテル特有の柔らかな照明が落ち、床のカーペットが足音を吸い込むようにしんと沈んでいた。 その廊下の中央に、瑛斗は背筋を真っ直ぐに伸ばして立っていた。 まるで“柱”のように微動だにせず、外側からの雑音を一切寄せつけない、職務に徹した護衛の姿だった。 しかし静寂とは裏腹に、瑛斗の胸の内では荒れた海のような波が何度も押し寄せていた。 表情は平静を保っていても、その心の奥では、言いようのないざわめきが広がっていた。(……やっと会えたんだな、玲ちゃん) 胸の深いところで小さく息を吐き、瑛斗はそっと天井を見上げた。 広がる天井の白い光が、わずかに滲んだように見える。 それは決して涙ではない。 だが、胸の奥から何かがこぼれ落ちそうになる感覚に、瑛斗は喉を固く閉ざした。 あのバリの海沿いの夜。 天城の刺客から生き延びたこと。 バーベキューをした夜。 そのすべてが今、胸の奥で静かに疼き始める。 瑛斗は玲華を守るためにバリへ向かった。 それは職務であり、桐嶋家の人間として当然の任務だった。 だがその裏に、ほんのわずか──本当に、かすかな希望があった。(もし……玲華様が蓮を忘れて、俺を見てくれたら——) そんな都合のいい期待を、心のどこかで抱いてしまっていた。 自分でもわかっている。 叶うはずのない淡い想いだと。 しかし、あの孤独な夜、彼女の涙を受け止めるたび、その気持ちは否応なしに胸の奥で膨らんでいった。 だが現実は——。 扉の向こうで二人は再び向き合い、抱き合い、泣き合っている。 飛行機の中で「好きだよ」と伝えられたこと。それだけで20年の瑛斗の想いは伝えられた。それだけでよかった。先ほどの、蓮を見つめる玲華の瞳。それを目の当たりにした瞬間、自分の想いは泡となって消えた。(……でも、それでいいんだ。彼女がしあわせなら……それで) 自分に言い聞かせるように、瑛斗はゆっくり目を閉じ、深く呼吸を整えた。 護衛として、弟分として、そして家族として育ててもらった恩を思い返す。 玲華は、守るべき存在。それは変わらない。「瑛斗」 低く、しかし確かな響きを持つ声が、静かな廊下に落ちた。 龍一だった。 少し離れた場所で腕を組み、目を閉じてい
扉が閉まった瞬間、蓮の呼吸が浅くなった。 静寂が落ちる。その音さえ吸い込まれてしまうほど、この部屋は外界から切り離された世界だった。 これまで何百回も、いや何千回も想像した“再会の瞬間”が、ついに現実として自分の目の前にある。 しかし実際その瞬間に立ち会うと、胸がきゅっと苦しく締めつけられ、言葉がどこかへ消えてしまっていた。 玲華もまた、同じだった。 ただ立ち尽くし、蓮を見つめたまま、唇を震わせるだけで声にならない。 会いたかった。 だけど、どう言葉にしていいのかわからない。 距離はわずか二歩。 指を伸ばせば届くはずなのに、その二歩があまりにも長く、深い谷のように感じられた。「玲……」 蓮が小さく呼んだ。 たった一度の名呼び。 その声だけで、玲華の瞳から涙が一気に溢れた。 耐えていた緊張がほどけ、感情が堰を切ったように胸から溢れ出す。 蓮が一歩近づく。 その足音が、重く、確かに玲華の心に響く。 玲華もまた無意識のうちに一歩前へ。 まるで見えない糸に引き寄せられるように、二人の距離は埋まっていった。 そして— 次の瞬間、二人は声もなく抱き合った。 どちらが先に腕を伸ばしたのかはわからない。 言葉より先に、身体が動いた。 心と心が互いの温度を確かめ合うように、必死で抱きしめ合った。「……会いたかった……蓮……!」 玲華の涙まじりの声が、蓮の胸元に震えながら落ちる。 その小さな震えに、蓮の胸が焼けるほど熱くなる。 蓮は目を閉じ、玲華の背へそっと手を回し、そして離すまいと強く抱き寄せた。「俺もだ。ずっと……ずっと会いたかった」 どれほど努力しても忘れられなかった。 どれほど離れようとしても、心は勝手に玲華を探し続けた。 会いたい気持ちが、毎日胸のどこかに棘のように刺さり続けていた。 その棘が今ようやく抜け落ち、蓮は安堵と痛みが混ざった息を深く吐き出す。 離れたくなかった。 本能がそう叫んでいた。 抱きしめた腕が勝手に強くなる。 玲華もまた同じ力で蓮の背中を掴み、指先に力を込めて離そうとしなかった。 どれだけの時間がそのまま過ぎたのだろう。 数秒か、数分か。 二人にとってはどちらでもよかった。 ただ、確かな温もりを感じていられることが何より
宗一郎の命令が下された瞬間、会場の空気は一気に張りつめたものへと変わった。さっきまで蓮と玲華の周囲を取り巻いていたざわめきが、まるで潮が引くように静まり返っていく。 客たちは息をのみ、次に何が起きるのかと固唾をのんで見守っていた。 龍一は「こちらへ」と短く告げ、迷いなく二人に背を向け歩き出す。 その歩みに合わせて、瑛斗と数名の部下が蓮と玲華の周囲を囲むように動いた。その動作は緻密で無駄がなく、何年も訓練を積んだ者たち独特の“空気”をまとっていた。 彼らは視線を遮り、注目を散らし、ふたりを守りつつ導くための壁のようだった。 その中を、蓮は玲華の手に触れたい衝動を必死に抑えながら歩いた。 触れたらもう二度と離せなくなる—そんな予感が蓮の胸を支配していた。 玲華もまた深呼吸を繰り返しながら、龍一の後ろを歩く蓮に静かに歩幅を合わせていた。 ほんの数秒前まで胸を締めつけていた緊張が、まだ足先の震えとなって残っている。 蓮が隣にいる。その事実がどれほど心を揺さぶるのか、自分でも抑えようがなかった。 広い会場を抜け、スタッフ専用の廊下へ入った瞬間、急に静寂が訪れた。 さっきまで背中に突き刺さっていた無数の視線も、噂めいたざわめきも、扉の向こう側に置き去りにされていく。「こっちだ」 龍一はエレベーターの前で立ち止まり、カードキーをかざした。 電子音とともに扉が静かに開く。 普通の客が使うものではない。 ホテルのスタッフでも限られた者しか利用できない、最上階へ直通の特別なエレベーターだった。 扉が開くと同時に、龍一は蓮に視線を向けた。「……父上が言った以上、俺も従う。だが、お前が玲華を傷つけたなら、その時は容赦しない」 その言葉には、兄としての情も、桐嶋龍一という男の厳しさも、どちらも含まれていた。 蓮は真っ直ぐ龍一を見返し、静かに頷いた。「わかってる。もう二度と傷つけない」 その言葉の強さは、玲華の胸に深く染みた。 ほとんど無意識に、玲華は小さく息を呑む。 その肩がほんのわずか震えたのを、蓮は横目で捉え、喉が熱くなった。 エレベーターが音もなく上昇を始める。 わずか数十秒の時間が、蓮には永く、重く感じられた。 誰も話さない。 だが沈黙の中で、蓮の胸の内は嵐のように荒れていた。 息が荒いわけでも、
宗一郎の前に立った玲華は、静かな微笑をたたえながら、はっきりとした声で言った。「お父様、お誕生日おめでとうございます」 その声音は透き通っていて、会場のざわめきの中でも不思議とよく響いた。 宗一郎が振り返り、ゆっくりと微笑み返す。その眼差しには、父としての誇りと、今この瞬間だけは表に出すことを許した深い慈しみが滲んでいた。 その親子の姿に、会場のあちこちで人々が息を呑む。 ささやき声が連鎖し、波紋のように広がっていった。「誰だ……? 会長の奥様? いや、もっと若い……」「いや、社長の奥様じゃないのか? …でも独身だって……」 好奇の視線が一斉に玲華へ向けられ、その美しさと気品に、一瞬あたりが静まり返る。照明が反射し、白いドレスの裾がゆっくりと揺れるたび、皆の視線が吸い寄せられる。 玲華が宗一郎の横へ移動しようとした、その瞬間だった。 玲華の視界の端に、黒い影が動いた。「玲!!」 鋭い声が、空気を裂いた。 振り返るより早く、蓮が目の前まで来ていた。 会場の喧騒が止まり、人々がざわめきを飲み込み、視線が一点に集中する。 蓮は迷いなく手を伸ばし、玲華の腕を取ろうと──した、まさにその瞬間。 玲華と蓮の間に、すっと大柄な影が滑り込んだ。 瑛斗だった。 長身の男が、一歩前に出るだけで空気が変わる。 警備という枠を超え、まるで“壁”のように蓮の前に立ちはだかった。 瑛斗は人差し指を軽く上げ、蓮を制するように静かに言う。「落ち着いてください」 その声は低く、衝突を避けるための冷静さを保っていたが、瞳の奥には揺るぎのない警戒があった。 蓮は瑛斗を見上げるように見据え、そして堂々と言い放つ。「彼女と話がしたい」 その声は震えていない。 ただ、強く真っ直ぐだった。 瑛斗はほんのわずか目を伏せ、次に龍一の方を向く。 この場で蓮を通すか否か、判断を仰ぐかのように。 龍一は顎をわずかに上げ、宗一郎へ声を掛けた。「会長?」 宗一郎は、蓮と玲華の顔をゆっくりと交互に見つめた。 まるで二人の間に流れる何かを確かめるように。 そして静かに言う。「瑛斗、下がれ」 瑛斗は即座に一礼し、一歩下がった。 蓮との距離はまだ近いままだが、妨げる姿勢は解かれた。 宗一郎は蓮の方へ体を向け、重々しく言葉を紡ぐ。「柊 蓮殿、娘